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FREESTYLE選手名艦 №8 『KaZu』

b0046686_18335246.jpgなぜ俺があの時黙って刑務所に送られたかって?誰もが俺に同じ質問をした。
俺はあの日、キムが俺を指した時に全てを悟ったんだ。

もし一言「俺じゃねえ、やったのはあいつだ」とゲロっちまえば、変わりにキムが3年入っただろうな。でも俺はそうしなかった。なぜならあっちはまだこの街に必要だったからさ。
キムは俺たちの頭さ、あいつがうまいこと仕切ってくれるから俺はシャバで生きていけると思っている。

暴力と補導の繰り返しだった俺が高校に入れた訳を?
キムがいなかったら高校なんてたいそうなところには入れなかっただろうな。そんなところで2年間も高校生活を満喫できたんだ、いまさらキムの代わりに3年ムショで暮らそうと悔いはねえよ。

それに仮に奴がムショに送られてたとして、キレやすい俺ならそのうち適当に誰かボコって後を追ってただろうよ。結局は同じことさ。

ま、確かに刑務所の暮らしはお世辞にも良いとは言えないファッキンなもんだったけどよ。

ともかくきむが殺っちまったガキのポケットから折りたたみ式のナイフが見つかって、俺の刑期は3年で済んだ。

でもな、俺のようなヒスパニック系がムショで生きるのは正直しんどかったぜ。

塀の中には大きく分けて二つの派閥がある。
一つは黒人の「兄弟」ども。そしてもう一つはヤバイ白人の人種主義者たち。
俺は意味もなくブラザーと呼びあえるほど愛想はよくねえし(だいたい連中のアフリカからひっぱってこられただのって話はウンザリだ)、もちろんKKKに入る趣味はねぇ。
かといって看守の目を盗んで白人や黒人相手にヤクを捌くシャバイアジア系のやつらのような真似もごめんだった。
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残された道は二つ。逃げ出すか、腹くくって中で生きるか。
ここでリタ・ヘイワースのポスターでも貼って裏にスプーンで穴でも掘ってみるか?その前に俺には「クレヨンしんちゃん」のポスターしかねぇ。
そんなもん貼ってみろ、「子持ちの親父が19のガキ殺して3年だとよ!!」と罵られるのがオチさ。

そう、俺は中で生きる道を選んだ。だがただ諦めて3年我慢するのは俺の性に合わねえ。どうせならここの連中に認めさせてやる。
そう覚悟を決めてからの俺はあっという間に中の慣習やルールを覚えていった。
確実に自分の昼食を確保する方法、所内の畑作業、シーツの洗濯。塀の外からの差し入れの仕分け作業ではデブの看守に2枚でも握らせればタバコでも何でも荷物に包んで中に入れられることを知った。
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半年ぐらい経った頃には、すっかり中の生活に慣れて、顔もきくようになっていた。

そうさあれはそんな梅雨の頃だったな、新入りが俺の隣の房に入って来たんだ。それまで隣には半世紀以上も中で暮らしてすっかりボケちまった爺さんが入ってたんだが、あまりに痴呆が進んじまったってんで特別な棟に移された後だった。毎晩のじいさんの寝言から開放される嬉しさがお前にわかるか?

新しく隣に入って来たのはマックとかいう小僧だった。なんでもコンピューター関係で捕まったらしい。名前はMacでも捕まったときはWindowsを使ってたというから笑い話さ。
どっかの御曹司で、御大層なことに房には本棚とマガジンラックが標準装備。他の囚人どもは最初ブーブー言ってたな。俺にもプレイボーイ読ませろだの、贔屓だのってよ。
でもあいつはきむやNIKEYのようにペラペラ喋るタイプではなかったけれど、自然と人が周りに集まるタイプの人間だった。よく他の囚人に本や雑誌を貸してたよ。

俺も刑務所の夜の暇つぶしにと適当に雑誌を借りたんだ。でかい黒人がバスケットのゴールにぶら下がってる表紙で、中身はMCケミカルとかいう選手の特集だった。それまで俺はまったくバスケットなんぞに興味なかったんだが、ムショの退屈さがピークに達してたんだろうな、むさぼるように読みふけったね。
次の日からマックを連れて今まで行こうとも思わなかった屋上のコートに通うようになったんだ。
コートは食堂の横の階段上ってった先の屋上にあって、いつも昼休みに黒人グループが3on3をやっていた。
市民革命以後の「労働の生産性のためのレクリエーションの場としての機能」なんてことを知ってか知らずか、連中は毎日飽きずにバスケットさ。
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俺たちはそこに踏み込んだ。俺も混ぜろってな。もちろん簡単には認めてくれなかったさ。でもマックが経験者(しかも州大会までいったらしい)だったのもあって、それからどんどんのめりこんでいった。
それからの残りの2年間はバスケのことしか覚えてねえよ。外に出る頃には俺のブロックを抜けて点を入れる奴は一人もいなくなってた。

そん時一緒にやってた奴とは今でもよくつるんでるよ。
ジョッシュは銀行強盗未遂で最後の4ヶ月間だけ一緒だった。強盗に入ったものの銀行員に怒鳴られて、謝った挙句に自分で出頭したっつー最高に笑える奴さ。
スタリオンなんてのはいつもメキシコ産の「シエテアサレス」とかいうヤバイ紅茶ばっか飲んでてキマっちまってるクレイジーな野郎だったな。

塀の中から外に出れた日のことは今でも覚えてる。
西棟の外のパンジーとか植わってる花壇の先、フェンスを越えたところにでっかい格子があって俺たちはそこを「ヘブンズドアー」って呼んでた。そこにNIKEYとクボがおそろいの青いツナギ着てニタニタ笑いながら待ってたんだよ。
あいつらは「俺たちは奪還アルカトラズ!カズを奪還しに来たぜ!!」とか息巻いてたが、要はきむの手配した迎えの車の運転手さ。うまいこと言いくるめられたんだろうな。

これからシャバに戻って俺が何をするかって?
決まってるだろ、バスケさ。
第一、素晴らしいことにきむがコートを確保してるって言うじゃねえか。思いっきり暴れてやりたいね。
そんでもう馬鹿な殺しはやるんじゃねえって一言説教してやるんだ。

ただ一つ残念なのは3年の間に「からあげくん」が無くなっていたこと。
まあ「ハバネロフランク」も好きだがね。
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by evilbeats | 2005-12-15 00:11 | FREESTYLE選手名艦